サリーフォックス

サリーフォックス

1985年 1985年 茶色い綿花に一目ぼれした瞬間、サリーさんの波瀾万丈なストーリーはスタートします。
同僚の鞄の中で眠っていた茶色い綿花は、繊維が太くて短く機械で糸にできない代物だったので、誰にも価値を認めてもらえませんでした。
茶綿の良さを訴えても相手にしてくれる人はおらず、サリーさんは私財を投じ、自分で畑を耕し、繊維の長い綿花と交配し、茶綿の品種改良を始めました。
茶色はタンニンによるもので、虫が付きにくく有機栽培に向いていたそうです。
茶綿には何種類か色が微妙に違うものがあり、私たちが使っているのは「コヨーテ」というカラーです。
2世代目には突然変異でグリーンのコットンボールが2つだけできました。これが緑綿の始まりです。
資金が底を尽きそうになりながら苦労を重ねましたが、90年代に入ると品質は向上し、日本の紡績企業やアメリカの大手デニムブランドに採用されるまでになりました。
しかし、良い時期は長く続きませんでした。
有名になると大規模な農場から「白い綿が汚染されると困る。」と圧力がかかり、栽培していたカリフォルニア州の政府から立ち退きを求められ、アリゾナ州やテキサス州に追われました。
2000年代に入ると取引していた紡績企業が倒産、デニムブランドの経営悪化による方針転換など順調だったビジネスも行き詰まり、窮地に追い込まれます。
行き先の無くなった茶綿は日本の紡績企業に紹介されました。
他の紡績企業が色綿を工場に入れることを拒む中、唯一手を挙げたのが大正紡績でした。
サリーさんとのお付き合いはそれ以来で、私たちは有色綿だけではなく、アメリカで契約栽培するオーガニックコットンはすべてサリーさんにお任せしています。
良い時も悪い時もサリーさんはすべてリサーチの為という姿勢を崩さず、今もサンフランシスコで羊を飼い、小麦を育てる生活を続けています。